智恵子紙絵
これ↑は何かと言いますと、「智恵子紙絵」という本の中の紙絵。切り絵です。
この本です。↓
そう、智恵子とは「智恵子抄」で知られている高村光太郎の奥さんの高村智恵子です。
「智恵子抄」
この「智恵子抄」の文庫本は前から持っているんですが、その表紙と巻頭の数ページに智恵子の切り絵が載っているんですよ。
それで前から、
「うわ〜〜素敵だな〜この切り絵。もっと見たいなあ〜。」
と思っていて、ふと思いついて調べたらその切り絵集(紙絵って言うのかな)があるってことを知って入手しました。
すっっっごい素晴らしいの。
もうほんっと、息を飲むくらい、その色使いといい、細やかな表現といい、どれを取っても胸がハッとするような作品なのです。花は花以上に花の存在感があり、木の実は木の実の、野菜は野菜の、魚は魚の、そしてそれ以上の存在感と表現があって、そして美しくて温かいのです。和紙の温かな表情があります。そしてそれぞれに生き生きとした生命力と愛情を感じます。
智恵子は精神分裂症(今で言う統合失調症?)になって晩年は病院で過ごすんだけど、その時に毎日作っていた切り絵は千数百点にも及ぶそうです。
「智恵子抄」を読むって言うとセンチメンタルな人間だと思われそうだけど、でもやっぱり読むと胸にグッと来るものがありますねえ・・・。
前半のもう溢れんばかりの、っていうか、溢れ返って止めどない智恵子への愛の詩は本当に幸せ200%〜〜!!!って感じだけど、でもその愛の壮絶で悲しい結末を知っていて読むとその幸せがすごくせつない。
生活が苦しくなっていって、智恵子がだんだん精神を病んでいって、愛し合っているがゆえに苦しんでいくのが伝わってくる時期の詩もせつない。
そして智恵子がまさに亡くなる時の詩が、あの有名な「レモン哀歌」。
あの鮮やかで悲しくて美しい詩は昔教科書に載っていたんですが、ずっと心に残ってましたね。うーん。
智恵子が亡くなってから智恵子を思って書いた詩もたくさんあるけど、これがまたせつないんだ。せつないせつない。だってさ、智恵子が死んで10年以上経ってもずっと、智恵子に語りかける内容の詩だったり、「智恵子が居たらきっとこう言うだろう」みたいな詩なんだもん。
そしてそれらの詩を読み終わった後に、その後ろに掲載されている高村光太郎による「智恵子の半生」を読むと泣けるんだこれが。
あなたは本当に私の半身です
とまで歌った相手の喪失は、本当に自身の喪失でもあるんだろうな。
あ〜〜〜せつない気持ちになってしまった!
ま、季節も秋だし、そんな気分にひと時ひたるのも時にはよいか。